お知らせ
問も回答も自分で書いています。途中から作品の具体的な内容に言及しています。
※まだネタバレなし
Q.「〜にて」という作品群はどのような手法で書かれていますか?
A.「特定の場所を舞台とする」「登場人物は全員敬語で話す」「俳優の性別風采を問わない」がまず必須、なるべく守るのは「全員初対面」「相手の言ったことを否定しない」。
Q.なぜこんなものを書いているのですか?
A.参加している戯曲ゼミの課題にあった、“設定された場に人物を投入し、自動的に話がすすむ”という手法で書いている。その作法をはじめて書いたのは、池袋ポップアップ劇場で上演した「西友にて」(旧題「アオナ」また戻そうと思う)。
Q.冒頭がいつもおなじなのはなぜですか?
A.戯曲ゼミで学んだ「『雨だ』とセリフで言えば雨」「『ハイジャックだ!』と言って銃を構えればハイジャック」という演劇理論に基づいて、冒頭のセリフで必ず「ここは〇〇です」と言っている。「交番にて」が初出で、素舞台で上演する際、「ここが交番だってわかるかな……言えばいいか」で導入した。
Q.ディストピアなのかポストアポカリプスなのか、そもそもどういう違いがあると思ってますか?
A.ディストピアは「1984」みたいな、全体主義による管理社会をモチーフにした作品だと認識している。「区役所にて」は過重労働や手続き主義など、確かにそういう雰囲気はあるものの、管理の目的も合理性もない。どちからというと、秩序が崩壊した社会に流れでなんとなく生きている人々、という感じなので、どちらかというとポストアポカリプスに近い。ただ、決定的なアポカリプス(もしくは崩壊にいたる意思)があったわけでもない。今の日本とかそうでしょ。
※ここからネタバレあり
Q.各作品で、作者は気に入っているけど、伝わってないかもしれないってシーンはありますすか?
A.
「画廊にて」
オノマトペ(ぐぎぎ、ぐげげ、ぐごご)を言った時、全員必ず後ろを向く。文字が浮かび上がっているイメージ。
「投票所にて」
全体的にマイムがあやふや。(急に机が出てきて高すぎる、投票箱の位置や形が一定しない、旅人の持っていた投票用紙がなんとなく消滅する、など)これは「ちゃんとやらなくてよい」という演出の指示。
「区役所にて」
馬のいななきみたいな動きをした後の移動は実際は走っている。池袋ポップアップ劇場で再演した「市役所にて」でも同じ動きをしている。「市役所にて」と「区役所にて」は、“橋を土嚢で塞ぐ”という同じモチーフが使われており、姉妹作。
「阿佐ヶ谷にて」
未来人の遺伝子が変わっているという話で、「ゲロゲーロ」とその前にあった爬虫類型宇宙人を匂わせることを言う。これ、元の台本にはなくて、練習中にわざわざつけ加えたのだが、まったく受けなかった。カエルは爬虫類じゃなくて両生類だからだろうか。
Q.動きが珍妙な時があるのはなんなんですか?
A.おおむね俳優の自発を演出がふくらませてる(あるいは任せている)ことが多いが、「画廊にて」「阿佐ヶ谷にて」は俳優中心、「区役所にて」は演出中心、「投票所にて」は基本俳優中心で、立ち位置の移動に関しては演出で結構気を遣った記憶がある。
Q.お気に入りの動きはありますか?
A.俳優の自発か、演出の指示か問わず(記憶もない)、
「画廊にて」
芸術作品がここにあるかどうか考えている際、幽霊とインスタが交差して移動するのがコナンくんみたい。
「投票所にて」
選挙管理委員が会場の構造を余すことなく利用している。
「区役所にて」
区役所の職員が途中白目を剥いている。(「白目できますか?」って確認した記憶がある)
「阿佐ヶ谷にて」
時空警察が一切構わずバーチャルリアリティの話をしているのを、現代人がすごい嫌がっている。
Q.自分で書いといてなんですが、お気に入りのセリフはありますか?
「画廊にて」
インスタレーション「(作者について)親のようなものとは思ったことはありません。」
(なんの気持ちもこもってない)
「投票所にて」
候補者「とにかく承認欲求が強い、ひとかどの人間だと社会的に承認されたい、その一心で20年間努めております。」
(全作品中屈指の大声)
「区役所にて」
非区民「できれば来訪者も合わせて、ウィンウィンウィンの関係でやってほしいのですが。」
(語呂が良い)
「阿佐ヶ谷にて」
現代人「当たらずとも遠からずって言い回し、結局ハズレてるってことですけど、言われて悪い気はしません。」
(チョロさが滲み出ている)
Q.「投票所にて」だけ25分あるのはなぜですか?
A.最初のシーンでたっぷりやり過ぎているから。練習中はもっとムーディで収拾つかなくなってあの形に落ち着いた。
Q.動画を観て改めて気づいたことなどありますか?
A.覚せい剤ネタが多い。
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